大学在学中に、国際協力について学んでいた私は、バングラデシュという国を訪れることになりました。
日本ではあまり情報のないバングラデシュ。
現在でもまだまだ発展を続ける国ではありますが、訪れてみて分かったのは、とってもフレンドリーで心温かい人の多い国ということ。
今回の記事では、そんなバングラデシュを訪れた際に出会った、国際母語デーについてお話していきます。
いきなりの国旗掲揚にビックリ
バングラデシュの研修中、首都ダッカから少し離れた村で、村の人たちの生活を向上させるためにどのような取り組みがなされているのかを見に行く機会がありました。
この村には2泊ほどする予定で、研修センターと呼ばれているところに泊まることに。
この研修センターは、かなり大きな2階建ての建物で、宿泊施設から食堂、クラスルーム、そしてとっても大きな庭なんかもあって、いつも子どもたちが走り回っていました。
バングラデシュの村に泊まると聞いたときは、「どんなところで寝るんだろう。」とちょっと不安に思っていた私は、立派な建物を見て、ちょっと安心。(笑)
私たちが泊まっていた部屋も、シャワーやトイレが部屋についていて、「意外と快適な部屋で良かった~。」と一緒に来ていた友人と話していると、「残念ながらシャワーは温水じゃなくて水だよ。」と言う友人。
途上国では、こういうことはよくあって、私も慣れていたものの、私たちがバングラデシュを訪れたのは、2月。
昼間は半袖でも快適な気温でしたが、日の出ていない夜は少し肌寒く、カーディガンを羽織るくらい。
「2泊だけだし、昼間の暖かい時間にシャワーを浴びればいいね。」と話し、その日は眠ることにしました。
次の日の早朝、「ビー!!」というサイレンのような音で目覚めました。
「火事?何が起こってるの??」とパニックになりながらベッドから飛び起き、外に出ると、他の部屋に泊まっていた友人たちもパジャマのまま庭に出てきていました。
コーディネーターさんも出てきたので、話を聞きに行くと、「ごめんね。昨日言い忘れていたんだけど、今日は国際母語デーのセレモニーがあるの。あと10分ほどで始まるから、庭に集まってね。」と言われました。
「え?そんないきなり?10分しかないの?」とみんな戸惑いながらも、着替えをすませ、庭に出ていくと、村の大人たちから子どもたちまで、たくさんの人が集まっています。
しばらくすると、ステキな音楽とともに国旗掲揚が始まりました。
普段はゆったりとした感じのバングラデシュ人も、きりっとしたまなざしで国旗をみつめていました。
深い歴史のある国際母語デー
いきなりのサプライズセレモニーが終わり、コーディネーターさんに、
「ところでこの国際母語デーはどういった意味があるの?」と聞くと、
「バングラデシュはパキスタンから独立をするときに、自分たちの言葉が失われないようにするために、独立運動をしたのよ。バングラデシュという国の意味も、バングラの国、ベンガル語を話す人々の国っていう意味なの。そして、後にユネスコがこの運動の起こった日を国際母語デーとしたから、多言語を尊重しようという国際的な言葉を大切にするという日になったのよ。」と教えてくれました。
バングラデシュの歴史を勉強せずに来てしまった私は、そんな歴史があったんだと、ショックを受けました。
日本でもそうですが、若者の間では標準語を話す人が増え、方言が消えていったりしています。それはやっぱり悲しいもので、自分たちの言葉を守るために戦ったバングラデシュの人々の行動はとっても勇気のある、尊重すべき行動だったんだなぁと感じました。
2泊の村での生活が終わり、ダッカに戻ると、コーディネーターさんが、「せっかくだから、記念碑を見に行こう。」と言って、ショヒド・ミナールという碑を見せに連れて行ってくれました。
大きな広場の一角にモニュメントがあり、たくさんの花が手向けられていました。
「私たちが知らない歴史がバングラデシュにはあるんだね。」と、とっても考えさせられる旅となりました。
あとがき
日本にいると、「自分の話す言葉を大切にする」なんて、あまり考えたこともありませんでした。
ですが、海外で生活するようになってからは、「この漢字どうやって書くんだっけ?」とか、「これって日本語でなんて言うの?」と聞かれたときにうまく答えられなかったりして、自分の日本語の衰えを感じることもあります。
海外に住んでいても私は日本人!このバングラデシュの旅で、日本語も、自分の地域の方言も、もっともっと大切にしたいなぁと感じることができました。