「え!?なんで!?鍵が開かない!!」――こんな恐怖体験をしたことはありますか?
私はこの鍵が開かなくて外に出られない恐怖をニュージーランドの韓国人キリスト教会で体験しました。
今回はこの時の体験をみなさんとシェアできたらと思います。
韓国人キリスト教会との出会い
私がニュージーランドに短期留学をしていた際、ホームステイ先のファミリー構成はこんな感じでした。父マット・母ジャスティン・長男ルイーズ・長女ケイト・次女エミリー。そこに韓国人留学生のミソン。
ミソンは私と違い長期留学者でもう半年以上この家にホームステイをしているようでした。私は夏休みの間このホームステイファミリーと一緒にニュージーランドで過ごしたのです。
ミソンは私よりも10歳くらい年上でしたが気さくでフレンドリーな女性でした。私にとってはニュージーランドは初の海外で、右も左も英語も何もかも分からない私に、流暢な英語で色んなことを教えてくれました。
そんなミソンは敬虔なクリスチャンで、ニュージーランドに滞在中も毎週末になると教会を訪れてお祈りをするのです。韓国人にクリスチャンが多いということ自体私は当時知らなかったので、それを知っただけでも新鮮でした。
そんなある日ミソンが私にこう言ったのです。
「りこも教会に行かない?」
「え!?わ…私も行くの!?」
まさか私が誘われるとは驚きでした。
「私クリスチャンじゃないけど行ってもいいの?」
という素朴な疑問をぶつけると…
「もちろん!お祈りの後はキムチ鍋の炊き出しもあるよ」
とミソン。
キムチ鍋につられた私はミソンと一緒に韓国キリスト教会に向かったのです。
教会はホームステイ先の家から歩いて15分ほどのところにありました。初めて見た時の感想は…
「わー!大きい!!」
です。とにかくその教会は大きくて立派で、私は驚いてしまったのです。
教会=英語という固定概念を持っていた私にとって、掲示物が全て韓国語だったり、教会にいる人々がみんな韓国語を話している様子はとても新鮮でした。
「みんな韓国人だね…お祈りも韓国語でするの?」
と私。
「うん、お祈りも歌も韓国語だよ」
とミソン。
「えー!私どうしたら良い!?アンニョンハセヨ〜しか言えないよ!!」
「大丈夫!りこは黙っていれば韓国人に見えるよ!歌が歌えなくても大丈夫!」
「………」
もう諦めるしかないと思い私は教会の中へ。
中にはたくさんの人がいて、何やら韓国語で会話をしていました。
教会の中には大きな部屋と小さな部屋があり、どちらに入っても良さそうな様子。私とミソンは大きな部屋の方に入りました。
部屋に入るとミソンは顔見知りの人が何人かいたようで韓国語で会話を始めます。私は韓国語が全く分からなかったので一人で座っていました。
「始まりまでまだ時間があるのかな〜」
と思い、トイレにでも行こうかと私は一人で外へ。教会は広く表示も全部韓国語なのでトイレを探すのも一苦労でした。やっとトイレを見つけ部屋に戻ろうとすると…
「え!始まってる!!」
そう、すでにお祈りが始まっていたのです。
教会は大きく人がぎっしり座っていて、途中から入るのはかなり気が引けました。小さい部屋に行こうかと思いそちらに行ってみると、そちらは何やら歌をうたっている様子。しかもその様子が…
「こ…こわい…」
そう、何だか怖かったのです。何でその時恐怖を感じたのか今では分かりませんが、日本からニュージーランドへ行っただけでもいっぱいいっぱいな私が、さらにニュージーランドの韓国人キリスト教会というコミュニティに入り、さらにそこで一心不乱にお祈りをする人々を見て、自分のキャパを超えてしまったのです。
「もうダメだ…外で待っていよう…」
そう思い入口のドアに手をかけると…
「ん?ん?ん?……開かない!!!」
なんと鍵がかかっていて開かないのです。何度も何度もガチャガチャと開けようとしますが、やはりドアは開きません。誰かいないかと周りを見回しましたがみんなお祈り中で誰もいませんでした。
今思うと内側からクルッと捻るような鍵があったのではないかと思いますが、当時は初めての海外で英語もほとんど話せず、精神的にも限界の状態。冷静に判断することも出来ず
「はぁ……」
と近くの階段に座り込みました。
待っていればすぐに出られるはずなのに、その時の私はなぜか絶望。閉じ込められてしまった、という恐怖を強く感じていたのです。
それから数分後――
「ガチャ」
炊き出しの材料を持ったおばさんが、いとも簡単にそのドアを開けました。私はここぞとばかりに脱出。
おばさんは「?」という顔で見ていましたが私にとっては世紀の脱出劇でした。
まとめ
「りこ急にいなくなっちゃうんだもん〜どこにいたの?」
そうお祈りが終わり出てきたミソンに聞かれましたが
「閉じ込められて怖くて半泣き状態で階段に座ってた」
など言えず適当にごまかした私なのでした。
炊き出しのキムチ鍋は辛くて本当に美味しかったです。そこにいた韓国人の人たちも親切な良い人たちでした。
これも今となっては良い思い出。ただ、あの時のパニックの恐怖は今思い出しても怖いです。