英語を勉強している者として、一度は住んでみたい国、「アメリカ」!
ついに夫はアメリカ行きを命じられ、家族も帯同することになりました。
これまで、言葉の分からない非英語圏での生活をしてきた自信もあり、
「英語なら少しはわかるし、楽しく過ごせるだろう!」
とタカをくくって渡米したのが間違いでした。
かつてない挫折感にさいなまれる、私のアメリカ体験記をご紹介します!
私の発音、そんなにわかりませんか!?
希望に満ちて渡米したその日から、色々な試練がありました。
「アメリカって意外とアナログだな」と感じたことのひとつに、「電話」があります。
病院や公共料金の手続きなど、アメリカ人は意外と
「電話で手続きしてください」
と言うのです。
例えば、病院の検査結果なども看護士さんから直接電話がくるので、
「内容が全く分からない!メールでほしい!」
と何度心の叫びを繰り返したことか。
公共料金の手続きでは、音楽を聞いている気分になるくらいノンストップな英語にギブアップ。
ゆっくりと話してくれる優しいオペレーターにあたるまで、ひたすらかけ直したこともあります。
それから電話はなるべく避け、現場のカウンターまで足を運んで手続きをするようにしました。
少なからず自信があった英語が、現地ではほとんど役に立たず、大きな挫折感を覚えました。
そんな試練を受けながら、少しは慣れてきたかな?というある日のレストラン。
喉がカラカラで最初に出されたグラスの水を一気に飲み干した私は、このように言ったのです。
「Can I have a glass of water ?」
店員さんは、私の顔を少しの間じっと見つめて
「OK !」
と言って立ち去りました。
その数分後、私の目の前に置かれたのは…
小さなお椀。
…ん?なんでしょう、これは?
何がどう聞こえたのか、私の「水ください」は「お椀(Bowl)ください」となり、水さえも通じない自分の発音に愕然としたのでした。
その後、個人レッスンの先生にこの話をして、「Water」の発音を聞いてもらったところ、やはり私の発音は「水」には聞こえないとのこと。
私が耳にする彼らの発音は「ワラ」のような感じだったので、それを真似て言っていたのですが、それは通じないようです。「ウォダ」というのが近い発音だと言われました。
それすら、私の聞き取りが正しいのかどうか、この頃にはすっかり自信をなくしてしまいました。
どちらにしても、これがどうして「お椀」となって伝わったのか、今となっては闇の中…。
英語以外を勉強するアメリカ人に遭遇
さて、このように小さな「通じない」が積み重なる毎日に意気消沈していた私は、ある日、図書館主催の無料英語クラスに参加しました。
そこには、日本以外にも中国、韓国、トルコ、メキシコ、インドなど、色々な国の生徒がきています。
そこで、アメリカ人の先生が言ったのです。
「私も他の国の言語を勉強して、その国を訪れたけれど、行ってみて初めて通じないことにパニックになったことがある。」と。
その言葉は私には衝撃的でした。
なぜなら、アメリカに住んでいると、英語は話せて当たり前で、
「あなた英語うまいですね」
なんてことは誰も言ってくれないのです。
英検何級を持ってようが、TOEIC何点以上持ってようが、アメリカ人にとっては関係なく、この人は英語が母国語なのか、そうでないのか、という区別があるくらいです。
それは、英語が世界の共通語となっているからだ、と個人的には思っていました。
英語圏の人は、私たちほど他の言語を必修として勉強したことがないから、外国人が英語を話すことに何の感動も持たないのだな、と。
そんな考えだった私の前で、その先生は自分と同じ悩みを持っていると言ったのです。
アメリカ人なのに!
今考えると自分の考え方も相当偏っていますが、そのアメリカ人講師の言葉は、
挫折を重ね、ひねくれていた私の心を少し溶かしたのでした。
それから、その先生と多国籍メンバーとの交流が始まりました。
それぞれの国独特の発音や文化に慣れつつ、アメリカの正しい英語をみんなで学んでいくうちに、
「あなたは英語が上手だよ」
と言ってくれる人もいました。
外国人同士が英語をカタコトで褒めあっている姿は、端から見ると滑稽かもしれません。
しかし、とにかく誰からも褒められず、むしろ「英語分からないのか」と下に見られたりする日々が続いていた私にとっては、何よりもありがたいほめ言葉でした。
アメリカ生活で得たこと
移民が多いアメリカでは、製品の説明書やオフィシャルホームページなど、多言語に翻訳されているものも多くあります。しかし、その中に「日本語」は見当たりません。
日本がいかにアメリカ国内では少数派かがわかります。
そんな中で生活するには、「英語ができなくても当たり前!」と開き直ることも必要だと感じました。
来たばかりのときは、英語が話せないことで、自分を卑下する傾向にありました。
が、やはり第二外国語を話しながら生活することの厳しさや難しさを痛感してからは、逆に「自分すごい!」と自画自賛しながら、うまくいった小さなことの積み重ねを自信に変えられるようになりました。
あとがき
日系の本屋さんで、アメリカ人の若者がコスプレのような格好で、日本書籍を食い入るように見つめているのを見かけました。
日本が少数派であるように、このように日本に興味を持つアメリカ人も貴重な存在だとつくづく感じています。
彼らがいつか、日本語を勉強して、日本を訪れたときには、「日本語上手だね!」と言ってあげたいです。
その一言で、きっと彼らはますます日本を好きになってくれると思います。
今の私がそうだから!