ある日、夫から「韓国駐在になった」と聞いた時、目が点になりました。
当時は韓流ブームで韓国が身近になったとはいえ、英語を勉強していた自分にとって非英語圏の韓国は近くて遠い存在だったからです。
韓国語のかの字も知らない状態でしたから、行く前に少しでもと思い、友人を通して韓国語の先生を紹介してもらいました。そこで、1ヶ月ほどでハングル文字と簡単な挨拶を頭に入れて、いざ韓国へ!
今日はその体験を皆さんにご紹介したいと思います!
やることなすこと思い通りにいかない!
当然1ヶ月の付け焼き刃的な勉強では、とても理解できない韓国語の壁の前に呆然としながらも、じっとしているわけにはいきません。
普段の移動は電車だったので、毎回切符を買うのも面倒になり、日本のSUICAにあたる「交通カード」を買おう!とある日思い立ちました。
当時はコンビニでも交通カードが売られていたので、早速近所のコンビニへ。
色々なデザインのカードがカウンターに並べられていました。
そこで、好きなデザインのカードをレジに持って行ったところ、レジの兄ちゃんがなにやら言って、お会計をしてくれないのです。
「なんだろう?売り切れなのかな?」
事情が分からないまま、別のデザインのカードを渡しました。
すると、またもや兄ちゃんが何か言って、お会計を拒否!
「なんなの!?これもないわけ?」
レジでカードを出しては返される、謎の押し問答がしばらく続きました。
そして、それを見かねた一人の客が、
「Student」
と、ひとこと英語で言ったのです。
そこで、ピンときました!
私が選んだカードはどれも「学生用」だったのです!
それで、おそらく兄ちゃんは学生証を見せろ、もしくは、お前はもう学生じゃないだろ、と言ったのだと察しがつきました。
ようやく事情がわかり、学生用ではないカードをなんとか入手したのでした。
たかが一枚のカードを買うためにエネルギーを消耗した私は、
「早くうちに帰ってご飯食べて寝よう」
と、帰りにお米を買いにスーパーに寄りました。
お米コーナーには、日本同様、たくさんのブランドのお米が。
お米は韓国語で「サル」というのは知っていました。
しかし、私がこれにしようかな、と思った袋には、「サル」の文字の前にもうひとつ文字が書かれています。
「コレ 『サル』 デスカ?」
と店員に聞いたところ、
「チャプサル」
と答えます。そのあと親切に色々と説明してくれたのですが、まったく分からず…。
とにかく米であることは確からしいので、これを買ってやっと帰宅。
「はあ、今日も疲れたな…」
と炊飯器からお米をよそい、一口食べてびっくり!
「これ、もち米じゃん!!!」
白いもち米もまずくはないけど、これ5キロ入りの袋だよね…。
その後、毎食ご飯はもち米となり、ご飯だけでお腹がずっしりくる日々をしばらく送ったのでした。
やることなすことこの状態ですっかり参ってしまった私は、部屋に閉じこもるようになりました。そして、特に目的もなく来ているのでやることはない、知り合いもいないので誰とも話さない、という負のスパイラルに陥っていったのです。
転機は訪れるもの
それからしばらくして、このままではいかん!と思い、リサーチを始めました。
そして、この2つが私を暗黒の日々から引きずり出してくれたのです。
ひとつは、大学の中にある語学クラスに入学したことです。
ここは主に、韓国の大学入学を目指す外国人が集まっていました。
ここで1〜2年勉強して、大学受験をする人もいれば、ある程度のレベルに行ったら帰国したり、就職したりする人もいます。もちろん私のような主婦もいました。
授業は毎日9〜12時まで。
私は初級クラスだったので、初めは他のクラスメートと挨拶くらいしかできませんでした。
けれどそのうち、毎日顔をあわせるメンバーの一人が、習った韓国語を使って、
「学食でランチをしないか?」
と話しかけてくれたのです。
そして、ご飯を食べながら、
「おいしい」
「辛い」
「熱い」
「宿題 多い」
など、知っている限りの単語で、学食での時間を楽しめるようになったのでした。
他にも学校のプログラムの一環で、国際交流サークルで地元の学生と交流したり、バスで遠足に行ったり、イベントが色々で生活にも色が出てきました。
もうひとつは、ダンススクールに入校したことです。
ここは現地のスクールなので、もちろん他の生徒は韓国人でした。
これまたすったもんだで手続きを終え、初めて参加したクラスで、先生が他の人に私のことを紹介してくれました。
そしてみんなが口々に何かを言ったと思いきや、なんとダンスのレッスンをせずに先生も含めて、全員ロッカーに戻って着替え始めるではないですか!
「どうしたのですか?」と聞くと、「パッピンス」という答え。
もうどうにでもなれ!と私も着替えてみんなの後についていくと…
そこは可愛らしいカフェ。
そこで、先生が頼んだのは巨大なかき氷!
「パッピンス」は「かき氷」のことで、そこでは人数分をひとつのお皿に盛り、みんなでつつき合うスタイルのお店だったのです。
そして、よくよく事態を観察したところ、それは、私の歓迎会という意味で、このパッピンスを食べに行こうとみんなが提案してくれたということが分かりました。
レッスン中に外出するという大らかさにも驚いたけれど、それ以上に、私のために、というのが本当に驚いて、その感謝の気持ちを言えないもどかしさに身もだえたのでした。
韓国生活で得たこと
ようやく軌道に乗ってきた韓国生活は、突然幕を閉じました。
夫に帰国命令です。
語学クラスのみんなは、授業の最終日に校門まで見送ってくれました。
「もっと一緒に勉強したかった」
「会えてよかった」
「身体に気をつけて。連絡ちょうだいね。」
この頃には、私たちの韓国語も上達して、涙ながらに別れの言葉をお互いに伝えることができました。
ダンススクールのみんなは、スタジオにトッポッキの出前を頼んで送別会をしてくれました。
「あのパッピンスはおいしかった。あの時は本当にありがとう」
私はやっと、最初のレッスンのお礼と伝えることができました。
私が韓国生活で得たものは、
言葉が通じなくてもめげない「図太さ」、それと「出会い」!
それに尽きます!
あとがき
知らなかった国を知る喜び。
知らなかった言葉を知る喜び。
知らなかった喜びを知る喜び。
それを韓国で出会った人たちが教えてくれました。
今でも「韓国」の文字を目にすると、あの懐かしい日々が蘇ります。