遠い昔から「眠れる獅子」といわれていた中国。
ここ10年ほどで経済発展が著しく、今では世界の1、2位を争う大国となりました。
大国にはビジネスチャンスがあります。
そういうわけで、夫にもある日、中国転勤の話がきて、私も中国・上海に帯同することになりました。
国際都市・上海は、自分が想像していたよりもはるかに大都会。
経済もバブルの時期だったので、「中国はこれからも伸びる!」という、人々の自信で活気に満ちていました。
そんな上海での体験記をお送りします!
道を聞いて、迷子の危機!
ところ変われば、言葉も変わる。
ということで、中国語がさっぱり分からないまま、生活が始まりました。
都心に住んでいたので、バス、電車、タクシーと交通機関はとても発達しています。移動には困らず、その日も電車で一駅のスーパーに買い物に行った帰りのことです。
その日は時間に余裕があったので、この一駅を散策してみよう!と思い立ちました。
大通り沿いを歩けば家に着く、という単純な道だったからです。
しかし、ぶらぶらしていると、道を少し入ったところに住宅街が見えました。
上海の大通りは高層ビルが立ち並ぶ、都会の様相ですが、その裏はまだまだ庶民の暮らしが残っています。
小さな部屋がいくつも積み重なったアパートの窓からは、外に向かって木の棒がニョキッと突き出し、たくさんの洗濯物が干されています。
赤いパンツ(赤い下着には吉があると信じられているらしい)やら、洗いざらしたジーンズやら、色とりどりの洗濯物がひしめき合うその光景に目を奪われて、知らないうちに行くべき大通りを大きく外れてしまったのです。
日も暮れて、薄暗くなってきたところで少し急ごうと、
「〇〇通りはどうやって行くのですか」
と道にいる人に聞きました。
すると、あっち、と指差しで教えてくれたのでその方向に足早に向かいました。
けれど、歩けど歩けど、目的の通りに出ない!
そればかりか、どんどん細い路地が枝分かれして、最終的にはどの道も住宅街に入り、行き止まりではありませんか!
その時、まだ中国に来て日が浅かった私は、スマートフォンではなく中国のプリペイド式携帯を使っていたので、現在地を検索することもできませんでした。
手持ちの地図を広げようにも、薄暗いところで自分が外国人であるとわかるような行動もいかがなものかと躊躇し、頼みのタクシーも全く通りません。
とにかく、知っている言葉のひとつ、
「〇〇通りはどうやって行くのですか」
を、10分おきくらいに聞きまくって、その方向に歩くしかありませんでした。
そして、いよいよ暗くなり、治安も心配で半泣きになった時、一台のタクシーがやってくるのを見つけたのです!
私は藁にもすがる思いで手を振って、ようやくタクシーに乗り込み家に帰り着きました。
本当にホッとして、次回からは絶対にバスか電車を使おうと心に誓ったのでした。
その後、在住期間が長くなってから気づいたのですが、中国の人は路上で知らない人に道をよく聞いたり、聞かれたりします。
その際に、聞かれたところが分からなくても、適当に
「あっちだと思う」
と言うおじちゃん、おばちゃんが結構な数でいるのです。
どうやら、聞かれたからには何か答えてあげたい、という優しい?気持ちからくる行動らしいのですが、当時の私には、この優しさが仇となり、危うく迷子になるところでした。
郷に入っては、郷に従え⁉
言葉の問題もさることながら、私は中国の人の国民性もよく分かっていなかったので、しばらく交流するのが怖かったのを覚えています。
特に、日本では何かを聞き逃した時に「え?」と聞き返す場面で、中国では
「アァッ?」
と聞き返してきます。
これが、ただでさえ中国語ができない自分には恐ろしく、しばらく話すことに臆病になっていました。
しかしある日、地元のお店に並んでいたときのこと。
カウンターで食べものを頼んで、支払うシステムだったのですが、並んでいても、横からどんどん他の人が割り込んで注文してくるので、なかなか自分の番が回ってこないのです。
日々のストレスと、空腹のせいで、ついに私はキレました。
「今は私の番です!〇〇をください!!」
と、割り込み客をさえぎり、大声を張り上げて注文したのです。
嫌な顔をされるのも覚悟のうえでした。
すると、店の人とその割り込み客が、
「中国人じゃないのに、中国語うまいね〜。」
とニコニコしながら褒めてくれたのです。
彼らにとって、私の大声は普通の声であり、自分の番であると主張することは当たり前のことだったのです。
しかも、「外国人が中国語を話す」ということに対して、とても喜んでくれます。
この時から、私はもっと自分を出して、中国語を思い切って話そう!と気持ちを切り替えられたのでした。
中国生活で得たこと
人口が多い中国では、とにかく主張しないことには自分に気づいてもらえません。
お先にどうぞ、と言っていては、いつまでたっても自分の番はこないのです。
買い物をするときは、一部を除き値下げ交渉は必須です。
「安くできないなら、買わない!」
「これをおまけするから、この値段でどうだ?」
など、コミュニケーションでどうとでもなる風習が、まだ色濃く残っていました。
この生活を5年もする頃には、「自分をアピールする」という習慣が身についていました。
日本では「変に思われるかもしれない」と人の目が気になって、行動が遅くなったりしていたことも、はっきりと言うことで物ごとが早く進むようになりました。
こう書くと、「図々しい」「気が強い」などと思われがちですが、逆に中国の人は他人のやることにも大らかです。
これは本当に気が楽なことで、その大らかさが街の活気にも繋がっていると感じました。
あとがき
初めは、秩序があるようでない中国の生活に頭が痛くなりましたが、慣れてくると、その適当感がたまらなく愛おしく思えるようになりました。
「ダメ元で、とにかくお願いしてみよう!」ということも聞いてくれたりして、大きい国は懐も大きいな、と今では上海の喧騒が恋しく思えます。